いきづらきもの つじやしきへ

辻隆弘<br/>文章なんてチンタラ読んでくれねえんだから、はやくマンガ描けるようになってくれよな。それもセンゴク一統記みたいな、本格派のかっこいいやつな!

よそもの

20170717

中学生になったとき、ふとこう思った
自分はこれまで好きに発言してきたが、それはどう思われていたのだろう
話し相手が自分で、相手は満足しているのだろうか
そんな風に考え始め、考えていると、
接し方がどんどんとわからなくなっていった
悩む間は人を避け、ついには
人とどう接していいのかがわからなくなった

小学生までは、親友という友達も何人かはできた
その人たちからいつか見放されるんじゃないか
自分はどこかで切り捨てられるんじゃないか
そういう恐怖は、いつもどこかにはあったことを覚えている

自分だけは誘ってもらえない
自分だけには、お土産がない
そういうときに、ああ、やっぱりな、と思った
普段仲良くしているように見えても
やっぱり自分はどこか一歩足りないようだ
お土産という仕組みが好きじゃないのは
そこに人の区別が生まれるからだ
その区別の中で、自分はいつも突き放される

それだけに彼女ができたとき、許しを与えられたようで
嬉しかった
自分にはちゃんと価値があり
それを証明してくれる人がきちんといたのだ
しかしそれももう別れてしまった
あれだけ好き合った人なのに
今はもう連絡すら取れない
やはり自分は落伍者なのか
よそものであることの再確認をするような形になってしまった
またひとつ、自分が人と交われないという証拠を積み上げた
まるでトラウマがひとつ、増えてしまったような気すらする

石田三成
ボブマーリー

考えていることが人と違う
人を信頼できないところがある

大学時代からの友達に対しても、どこか、へん、こんなやつ、と思っているところがある。
恩知らずと言ってもいい。みんなどこか、人を侮りながら生きているんじゃないかとすら思っている。こいつはまだ仮の友達で、どこかに本当の友達がいるんじゃないか、なんてひどい考え方をしているんだ。二人とも、人付き合いが苦手だった。そんな二人だからこそ、最適とはいえないけれど、離れることもなく付き合ってきたんじゃないか。

この人は自分をどう評価しているのだろう。もしからしたら、愛想を尽かしているんじゃないか。もしかしたら表に出さないだけで、自分をうっとうしいと感じているんじゃないだろうか。いつだってそんな思いに囚われて、威圧するように相手に接してしまうところがある。声が大きくなり、早口になり、相手の些細な反応、退屈を示すととれる反応を見てしまうと、ひどく落ち込み、沈んでしまうのだ。

歴史の話をしてしまった。相手はそんな話に興味はないのに。反省しないといけないぞ。ふと伏し目になった、退屈そうにしているような顔を見た。ああ、やってしまった、自分勝手に話しているんだなと感じた。

ボブマーリーは白人と黒人で、白人からも黒人からも受け入れられなかったという経験があるらしい。白人からは黒人で、黒人からは白人に見えたからだ。彼はなかなか人を信頼しない人になった。ここまでは似ているが、彼は人から愛される人になっている。自分と何が違うのか。それはもちろん、彼には作品があることだ。表現の場を持っているということだ。

頭で考えるからだめなんだ
考えてわかることと、わからないことが存在する
こんな悩みは、あれこれ考える前に人に交わり
経験をつめば吹き飛ぶ悩みなのだろう、そうも考えたりする
しかし実際、人と交わることはひどく高度で、とても今の自分にはこなせそうにない
人と交わるにも最初の一歩が必要で、
自分にはどうも、その一歩がうまくいかない
それなりに何度か人に話しかけてきた
誘い出しはうまくいく。みんな優しく、自分程度が声をかけても
出てきてはくれるみたいだ。ただ、2度目3度目となると、
相手に申し訳ない気がしてくるし、話すこともすぐになくなるし、
ああ、気後れしてしまう。関係は続いてこそ価値があるが、
自分の場合、1度会うので精一杯、2度目3度目は苦痛だろうな、
と思える程度にしか、人と付き合うことができないのだ
根のところが自分勝手なのだろう。相手が喜ぶような会話が
下手で、相手が喜ぶような会話をすること自体にどこか
白けたものを感じてしまうのだ。相手の機嫌をとってどうする。
自分が楽しんで、それを相手が楽しむ状態でこそ、幸福というんじゃないか
そんな風にすら考えているみたいなのだ。救いようのない馬鹿なのかもしれない
夢の熱が頭をほだす。理想を追いかけてこそ人生だろう、なんて英雄気分も交る
そして今日までずっと、あまり人と上手に交われないまま、そしてそれを悩みながら
悶々とした日々を過ごすことになっている

理屈っぽいと言われるようになった
自分は人付き合いが苦手で、相手をあまり信頼できない
自分に不満があるんじゃないかと考えると、いつも不安になった
相手を満足させられれば、不安を感じなくていい
相手に役立つことを言えれば、相手は満足するはずだ
きちんと役に立つことを言わなければ
かくして、反省がくせになり、やがて理屈っぽい話をする人になった
きっちり筋の通った話が好きな性分もあるし、
その当時ブログをよく読んだ影響だろうか、文章書きの人の
売り物は、個性と論理性だった。
素人の自分が人に個性、論理性をぶつけると、ほとんど煙たがられるだけなのだ
それがわかったのは、つい最近のこと
それでもまだ、個性と論理性を人に見せ、それが絶賛されるような形で
人付き合いがしたいと、願ってやまない自分も感じる
やっぱりそうとう馬鹿なのか。現実を受け入れるということを知らない
いつまでも実現しない、甘い夢の中に居つきたがる
たいていの人付き合いの上手な人は、上手くいかない方法はするりと脱ぎ捨て
うまくいく方法に移行するんだろう。
自分はそのことをどこか、軽薄で薄汚い、薄っぺらだと思い
お前たちにこだわりはないのか、だからお前たちの会話は
どこかのコピーみたいで、味気がないんだ、なんて思っている
そんな会話をさせられるくらいなら、自分の方から関係を断ちたい
願い下げだ、そう思っているくせに
可愛い女の子と楽しそうに話すのを見ると、無性に羨ましくてたまらなくなる
決別の決心も揺らぎ、いっそ後悔すらしてしまうのだ
偉そうにしてたって、強がっていたって、自分はいたって人間なのだ
愛されたいし愛したいというのが根本にある。そんな機能なんてなければ、
もっと楽に生きられるのに

人付き合いが下手で、苦手だ
それを認めたのは、社会人になってから
明確な武器が欲しい
人を惹きつけるような特技が欲しい
あなたはこれができるね、すごいね
そう思ってもらえたら、自分にきちんと価値があれば
人は集まり、人が集まれば会話のチャンスが増え、
人のことを考える余裕が生まれるかもしない
会話なんてどれも大差なくて
大事なのは、誰がそれを話すかということ
同じ話、同じセリフであっても、
尊敬に値する人がいうのと、そのへんの人が言うのとでは
印象が違ってくる
だとすれば今自分がすべきことは、ただの人じゃなくて、
何か明確な特技、明確な価値を持つ人になるべきなんじゃないか
自分の発想はいつも突飛で、
今もまだ、突拍子のないことを言っているだけなのかもしれない
武器のないまま、人付き合いをただ楽しみ、上手な人だって存在する
けれど自分はそうじゃないのだ。自分には、こういう不器用な方法しか
やり方がない

実際、プログラムと絵を勉強しはじめて、
これまでより少しだけ、人と接することは増えた
誰かがたまたま自分と一緒にいるときに、
すごいね、と言ってもらえるようになった。
関係が続かないのは相変わらずで、
新しい関係を築けないという実質的なところはまるで変化がなく
まだまだ発展の途上ではあるけれど、
かすかな希望は感じられる
今後数年は、この方向で進むと思う
特技を磨き、人を魅了し、なんとか人付き合いの苦手を克服する

広告を非表示にする